二週間も南の島への旅に付き合ってくれたBとの関係について書いておこう。
Bはベトナム語のクラスメイトだった。
日本語ができるので、すぐに色々と話すようになって行った。
英語もできるBは私が理解できないところをいつも説明してくれた。クラスでは教師の説明は英語でされるので、英語の苦手な私には理解できないところが多かったが、Bにはいつも助けられた。
クラスメイトではもう一人Rという女性もいるのだが別の機会に話そう。
しかし、Bは当初からベトナム語教室は面白く無いと言っていた。特に発音については苦手な様子だった。
Bは一方で、日本語の勉強を継続中だった。12月始めに行われる日本語一級検定試験を受けると言い出した。すでに韓国で一級を受かっているのに、再度ホーチミンで受けると言うのである。
何故?と聞くと、韓国では常に新しい資格を要求されるからとのことだった。
という訳で、日本語の勉強を毎日しているとのことだった。
ベトナム語の勉強もしながら日本語の勉強も行うBには脱帽である。
だから、Bは私に日本語の質問をいつもしてきた。
いつの間にか、私はBの日本語の個人教授の教師のようになっていた。
私も忘れかけている日本語を思い出すことで刺激になっていた。
Bは日本語は面白いがベトナム語は面白く無いと言っていた。
南の島へ行く事になった時に、Bと約束した事がある。
Bが「私を食べないでください」と言うのである。
私はもちろん「食べません」と答えたのだが、他人が聞けば変な会話であろう。
Bは「男の友達は居ない(彼氏はいても)、男と女は体の関係ができると友達ではなくなってしまう。」と経験上から言う。
私は多少異論はあるが、うなづくのであった。
と言う訳で、南の島への旅は始まったのである。
いざ、旅に出かけると、若いBの肉体を目の前にして刺激的なこともあったが、もう若く無い私の肉体と神経はその刺激にまけるようなことは無かった。(喜んで良いのか悲しんで良いのか・・・)
Bと生活をしていて感じたことは、彼女は亡くなった父親に強く影響を受けていたらしいことだ。
ことあるごとに父親の話しが出てきた。
未だに短パンとノースリーブのシャツで闊歩するのも父の影響が感じられる。
いや、彼女はファザーコンプレックスだと言った方が良いだろう。
一方、母親との関係は小さい頃からうまくいってなかったようである。
私との関係も、Bには父親の事が無意識に影響しているのではないかと思っている。
私には、息子はいても娘はいない。
ふと「こんな我がままな娘がいたら・・・」と思うこともあった。
そのBも、もうすぐ他国へ旅立つ。
前に相談を受けた、元彼の所へ行くのである。
Bの将来に幸あれと祈るばかりである。













































































